作品とはいつまでも変わりません
ソフトを再生すると、ゲームを起動すると昔と同じ映像が、音楽が、キャラクターが出迎えてくれます
しかし、環境の方はどうなのか
技術の進歩がより優れた映像を音楽を
そして、ストーリーテラーたる脚本家たちも昔を越えようと、より趣向を凝らした作品を作ることを仕事としています
それは絶対的で偉大で神聖的ですらあった名作を貶める行為なのです
僕ら消費者はそんな環境の中で生きて優れた新しい作品を求め続けています
だから怖いのですよ、昔大好きだった作品を見返したときに、あのときの感動を思い出すことが出来るのか
シムーンを見返した理由は偶然のようなものだった
この間、小笠原諸島に行って来ました
片道25・5時間、僕は船の中での暇つぶしにと部屋の片隅にあった昔買ったシムーンの小説版を持っていくことにしました
これは、きっと僕が電子書籍として愛用していたC6833がタイミング悪く、壊れていなかったら持って行かなかったでしょう
引っ越しのときに、この小説を処分しなかった自分の偶然もあります
船中でこの本を読まなかったら、アニメを見返すことはなかったでしょうね
あの感動を忘れるだなんてまったくの杞憂だった
序盤は製作者の方も言ってましたが少しアクセルが遅いですね
けど、初視聴時は全く意味不明だった1話、今見返してみるとアムリアの台詞の切実さ・鮮烈さが1話にして実にこのシムーンという作品を表しているなと思いました
そして、どんどんとこのシムーンの世界観に引きこまれています
改めて、少女性、ただそれを表現するためにこの作品は最上の舞台設定を、音楽を、ストーリーを用意しているなと、そう思いました、素晴らしいです
昔見たときの感動を思い出せるか、それはまったくの杞憂でした
いや、もっと好きになったといい
全員が女性として生まれていくるという設定も、この世界においてはかつては全員が少女であり、永遠の少女になりたかった・・・そんな彼女たちの選択、その純粋さ、崇高さ、高潔さをより伝えるためのものだったのでしょうか
僕もこの作品を見た時と比べると大人になりました、いや大人になるしかなかった
僕は大人になりたくなかった人間です、いろんなもののシガラミを抱えるのが嫌だったのです
それが最近が大人も悪くないなと、そんな風に思うようになりました、なんたることでしょうか
そんな彼女たちより不埒で不純な僕ですが、いやだからこそ永遠の少女という道標を得ることが出来た彼女たちが羨ましかった、彼女たちの純粋さが眩しかった
けれど、少し違うのかもしれませんね、アーエルとネヴィリルは彼女たちだけの永遠の少女になったわけでなく、僕の・・・いやシムーンファンたちにも、強く刻まれたのかもしれません、あの時を思い出すための道標として、僕も彼女たちのようになりたいものです
作品を通して自分を見つめなおす、そんな得難い経験がこのシムーンで出来ました
そんな臭い台詞で、今回の駄文を締めくくらせていただきます
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