気付いたら、前回打ち止めていた赤穂巡礼の記事から一ヶ月以上が経っていました…
まぁ、仕事が忙しくあまりブログ更新する気力がなかったというか、一度ペースが崩すと、めんどくなってやらなくなったりします、私
時間が経つのって早いですなぁ…
いちおー、最低でも週一更新くらい、出来たら隔日くらいを目指して頑張ってみたいなーとかあるけど、ものぐさ野郎ですからねー
今までも、更新するときは一気にまとめてやってたもんなぁ
人のため…というより、自分の記憶整理や記録のためにも継続したいんですけどね
ただ、一ヶ月ほども、更新をさぼってた割にはブログのアクセス数が減少しておらず、魅力的な内容の記事を提供出来てるのかなぁ…とか思えて嬉しいです
さて、ChuSinGura46+1の舞台探訪については、念願の赤穂にも行けましたし、とりあえず今回で終了にしようかと思います
ただ、もうちょい、補足的な記事をいくつか投稿するかもしれませんが…
赤穂城城門
赤穂城本丸跡の東にある厩口門なります
赤穂城引き渡しのシーンに出てきた背景だったかと思いますが、あまり印象深い背景シーンではないですね
大石神社
実物はもうちょいごちゃごちゃしてますね
花岳寺とは違い、人でとても賑わっていました
赤穂城本丸跡や大石内蔵助邸跡もこのあたりですから、赤穂観光の中心ですね
近くには、大きい駐車場もあるものですから、観光バスにて来た団体客も多かったです
どうしても、城址跡の方に眼が行ってしまいますし
大石神社だなんてネーミングもストレートで、実に分かりやすいですからねー
本当に縁のある、浅野家の菩提寺は花岳寺…って前も書いた気がしますけど
観光マップには当然、名前は書かれてはいるんですが、私も知らなければ、花岳寺については素通りしてたのかもしれません
帰りがけに立ち寄った、観光協会の人の話によると、花岳寺の通りが昔が街の中心部だったらしいんですけどね?(祭りのときらしい写真も飾ってました)
今は、赤穂駅から赤穂城への道がメインストリートっぽくなってます
そも、大石内蔵助及び赤穂義士を祀る、大石神社というものが創設できるようになったのが明治に入ってかららしいですよね?
元禄赤穂事件以降、赤穂浪士を称揚する人々によって旧赤穂城内の大石邸内に小さな祠が設けられ密かに祀られていた。1900年(明治33年)、あらためて「大石神社」として神社を創建することが政府から許可され、1910年(明治43年)4月に起工、1912年(大正元年)に社殿が竣工した。
江戸幕府と明治政府の赤穂義士への扱いの違いは、武士の鼓動での描写や一魅の話からも分かるところですけど
まぁ、江戸幕府にとっては犯罪者なわけで…
そんな人間を、寺社で祀るなんてのは許されないのは、納得できる理屈で…
まぁそうなると、比較的、最近の神社だとういうのも、なるほどなぁという話ではあるんですけど
どうしても、神社というだけで、歴史があるとか思い込んでしまいますよね
とか、書いてますが、神社内の資料館もなかなか見応えがあって楽しかったですよ!
大石内蔵助の刀や主税の小刀とか置いてあって
茶屋の店員さんも可愛かったし
大石良雄宅跡長屋門
門なんですが、今はもう、封鎖されてしまっていて開くことはなさそうです
門の奥は神社の敷地になっており、迂回して神社内から庭に入ることになります
ここも、団体さんが多くて、人のいない写真を取るのにタイミングを狙わないけませんでした。
庭園
入園するには、神社の義士資料館の拝観券が必要で450円かかります
園内には、忠臣蔵と小泉総理といった名の立て札や
人間大の人形があって、忠臣蔵のシーンが再現されていました
郵便ポスト
赤穂城正面の大手門の付近にあります
意外とひっそり道脇にあるんだなこれが
伊和都比売神社
主税ルートにて印象深い、赤穂にある神社ですが名前が出てきません
ただ、大きな特徴として、神社の裏に海があるというのがあります
その条件でふるいにかけたとき、赤穂内に候補になりそうな神社が一件ありましたので、今回行ってきました
実際、行った感想としては、背景画と全く一致するということはなかったが、共通する部分もいくつかあるといったところです
せっかくなので、候補としてここに書き残しておきます
鳥居
鳥居の形は一致しています
この鳥居を反対側から見ると…
赤穂の海が鳥居向こうに見えます
作中の神社だと海は裏にある設定ですが、ここだと正面ですね
本堂
むりくり探せば一致してない部分が無いわけでもないですが
それほど特徴のない建物なので、まずここだなと強く言えるところもないかなと…
本殿(2015/10/10 追記)
本堂の裏にある、本殿の方が似てるいるのではないか?という指摘をコメントよりいただいので
手持ちに写真がちょうどあったので、せっかくなので、掲載しておきます
コメント欄でも書きましたが…
本堂の項目で掲載した背景画とも似ていますが
むしろ鳥居の背景画で、後ろに小さく見える社の方と一致度が高いように見えます
とはいえ、やはり部分的に違うところもあります
周囲の風景が大きく違うことも考慮すると、神社のモデルがここだと断言するのはやはり難しいですね…
ここだけ、他と場所が離れてますし、せめて周囲に一箇所だけでも、ほぼ間違いないといえるような場所があればいいんですけどね?
この辺りは、どれも、どことなく似ているような印象を受けるくらいなので、なかなかもどかしいです
石
神社の側を歩くと大石名残の松という碑があります
まぁ、同じ石といっても、こちらは平べったいし、形も違いますけど
海と神社が近いという場所の条件と、また大石縁の物というのが一致を匂わせます
コメント
本日、念願叶って赤穂巡礼して来ました!
赤穂城を堪能したはいいものの、主税ルートの神社のモデル場所が分からずモヤモヤしてネット検索したところ、貴方のブログにヒットしました!
赤穂城〜伊和都比売神社は20代の健脚でも、50分かかりました。結構遠いですね。。。
貴方のブログ写真でいうところの本堂の裏側に、作中そっくりの建物がありました!
当ブログをご覧頂きありがとうございます お役に立てましたのなら何よりです
ブログを続けていく励みになります!
あの神社まで歩くとは頑張られましたね… 私は、時間的都合もありましたし、無難にバスで行きました…
さて、ご指摘の神社本堂の裏にある建物…ここでは本殿と呼ばせていただきますね、なのですが私も見てます
半年以上前なので、ややうろ覚えではあるのですが…
漁ってみたところ、写真を持っていたので見比べてみました
う?ん、たしかに似てはいるんですよね
けど、細部を見ると、いろいろと違いもやっぱりあるのですよ
たとえば、屋根にある突起物の数や、太巻きみたいなのの有無 入り口にあるのれん?の形とか…
周辺の景色まで、見るとすると 木はないですし、本殿の周囲は砂利になってます それに、実物を観た時、結構小さかったか、なんだか印象と違ったような覚えがあります
本堂の方は同じく石畳ですし、賽銭箱もありますから、そのあたりの印象から、そっちを記事に掲載したのかも
しかし、鳥居の背景画にある社、こちらは遠くから見てる絵(しかも、本堂とデザインが違う)なので、小さいです ただ、見える範囲だと石柵があるし、のれん?みたいなのは同じですし、灯籠の形もとんがっていたりと、だいぶ似てますね?
とはいえ、やはり、周囲の景色は大きく違いますが… 泉岳寺では、時代設定に合わせた修正をしてましたし、 まぁ、この神社では赤穂浪士縁の立て札のようなのがなかったはずなので、あまり似せる必要が無いとか・手間を嫌ったとか言う可能性も考えられますね
神社・お寺というのはある程度、似たようなパーツを持っているのでなかなか判断が難しいです
この神社だけ位置的に離れてますが、神社周辺のスポットもどっちつかずな似具合です
もっと、はっきりと似てるものがあれば強く押せるのですが…
たしかに、共通点はあるんですけど、あくまで部分的になんですよね…
その辺りの、私のもどかしさ、記事本文からも出ているかと…
結局、作中で神社名が出てない以上、断言はできないので、真相を知るはスタッフのみですかね…
せっかく、ご指摘いただいので、本殿の写真も追記しておこうかと思います