さすが、ジブリというか、駿先生といいますか、細かい歴史的考証や下調べをして、ちゃんと背景を作られてます
あの人自身もなかなか高齢の人ですからね
「コクリコ坂から」は、1963年頃、オリンピックの前の年としたい。47年前の横浜が舞台となる。
宮?駿先生は41年の生まれです
ですから、当時22才…さすがに高校生ではありませんが
あの時代を、主人公らに近い感性で、生き抜いた一人ですもんね
実際に目で見て、体感してきたのですから、こだわりも大きいんじゃないでしょか
今回、私が触れたのはコクリコ坂からの、ホンノ一部分のみですが
恐らく、他のジブリ作品と同様に、このコクリコ坂からにも
よく見ないと気づかないような、細かい部分にパヤオ先生の美学がうんと押し込められてるんでしょう、きっと
桜木町駅
桜木町駅内に、復元模型が置いてありましたのでそれの写真で
違う部分があるのは、再現した年代によるものでしょうか?
駅舎だけでなく、ちんちん電車の方も再現にされていますね
ジブリ絵の方が汚れがあった、リアリティを感じます
ところで、日本で初めて走った鉄道路線って、ここ桜木町(旧名:横浜駅)と新橋(旧名汐留駅)だそうです、知らなかったわ?
作中でズバリ、その路線を使ってますね
横浜税関・神奈川県庁
何この県庁舎…立派すぎぃ!
今でもちゃんと、使われてるらしいです
さすが、日本の近代化に大きく関わった街だなぁ…と思います
日本が開国するまでは、ただの辺鄙な村があるところだったんですけどね…
圧迫されて開国せにゃならんけど、外国人とは関わりたくない
そんな妥協の末に、外国人当留置として、意図的に東海道から離れた場所の横浜が選ばれました
当時は、東海道に繋がるろくな道もなかったそうですで、外国からのも抗議されたらしいですが
その結果として、今、東日本で2番めに大きな都市になってるんだから不思議なもんですね
横浜税関
神奈川県庁
さて、この2つを構図にいれて絵の様にするのはなかなか厳しいです
頑張ってもこうなります
それに、歩いている場所もむしろ、山下公園に似ているきがしますね
この辺りも、埋め立てなどで、だいぶ変わってるでしょうし
山下公園のこの2つの建物が見えたこともあったのかな?
氷川丸
あれ?色が違うぞ!と思って調べたら
昔は緑色だったそうです
航路からの退役後、スクラップにされる予定であったが、市や市民の保存を望む声によって山下公園に係留され保管されることになった。この際、船尾の貨物施設が撤去され、大規模な補修が実施された(1961年)。係留後の所有は氷川丸マリンタワー株式会社(以下、「氷川丸マリンタワー」と記す)になり、ユースホステル・見学施設として運営された。後に船体がエメラルド・グリーンに塗り替えられた。
当時の写真を乗せてられる方もいました
緑の氷川丸と私。|横浜屋形船 ピアフォーブログ One for the Road
氷川丸を見るとどうしても、政治家の津島雄二氏の事を思い出してしまいます
大臣経験もある、すごい人なのですが、昔、公演でこの氷川丸に乗ってアメリカにいった話を面白可笑しく話していました
もう、パヤオ以上で、80歳を過ぎてるおじいちゃんなのに
まだまだ、エネルギッシュで強い知性も感じられる、なんだかすごい人だったなぁ
ホテルニューグランド
ここも、有名な所ですね
さりげなく背景に入ってきます
というか、この辺りは有名な建築物がぎょーさんありますからね…
さて、このホテル、横浜の観光ガイドでロケによく使われると書かれていたので調べて見ました
登場シーン|ホテルについて|ホテルニューグランド(公式ホームページ)
なんと、ホテルのホームページ内にまとめられている所がありました
三谷幸喜氏の有頂天ホテルに、華麗なる一族ですか…おいらでも名前を知っている作品だな
どうでしょう、この中に、コクリコ坂からの名前を入れてみてはどうでしょうか
横浜マリンタワー
作中だと、赤白になっていますが、どうやら昔はこの配色だったようです
調べていてわかったんですが、一度潰れているんですね…
参照:横浜マリンタワー
小さいころ、登ったがことがある(母談)とのことだが、覚えてないなぁ…
一度、登って夜景を見てみたいです・・・
当然、一人でな!
西の橋
ここも、かつては、路面電車が通ってたらしいです
そんな面影、今ではまったく確認できませんね…
こちらに、昔の西の橋が描かれた絵葉書が掲載されています
コクリコ坂からの時代よりはだいぶ前ですが、それでも路面電車の姿が確認できます
移動経路について
こんな感じでしょうか
結構な距離があって、疲れます
ん?おいらが年なだけか?
まぁ、若い仲の良い男女が話をしながら歩けば疲れなんか感じないんでしょうきっと・・・
「コクリコ坂から」の場所は何処? (西の橋、元山下) : ほのぼの☆セール情報ウォッチャー
また、こちらのサイトについて、より詳細な時代考証を交えて
西の橋や、コクリコ荘の位置について考察が書かれています
とても、面白いですよ!
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