天空の城ラピュタに出てくるラピュタのモデルはカンボジア・ベンメリア遺跡、と言われてる方をよく見かけよう思います
ただ、この話は情報のソースが曖昧なんですよね
スタジオジブリ作品の舞台は何処なのかについての調査
最近はあの日見た花の名前を僕達はまだ知らない、や、心が叫びたがってるんだの埼玉県秩父市や
結城友奈は勇者であるの香川県観音寺市、ラブライブサンシャインの静岡県沼津市などなど
広報戦略として、アニメ作品と地域が共同して町おこし運動をやるのも珍しくなくなってきました
有名聖地の裏で幾多の作品が忘れられて(失敗して)いるのは置いとくとして・・・
ただ、ジブリ作品はどこそこが舞台なんだよ、という話は聞きますがスタジオジブリから自社作品の風景はどこそこをモデルにしてるんだよと、公式に大きな声で言ってきたという印象はないんですよね
ちょっと検索してスタジオジブリ作品の舞台について書かれている記事を調べてみたのですが、Googleで出てくる情報は2次情報以降の記事ばかりでした
そして、それらの記事ではスタジオジブリがそこを舞台にしたという明確な関連資料の提示もされていませんでした
他の人がそう言ってるから、ただ単に似ているからという曖昧な情報・憶測から記事を作成しているようでした
けどたしかに、僕もインターネットで探して見ましたが一次情報(関係者が書いた書籍とかインタビュー記事とか)を示す情報もなかなか見つからないんですよね
見つけた範囲だとこの本でもののけ姫・屋久島についてか書かれているとか
ハウルの動く城のモデルがアルザス地方だと言われていることが、Animerica2005年6月号に掲載されているインタビュー記事にかかれていたとか
上はその転載、まぁそれくらい
しかし、灯台下暗しとでも言いましょうか
スタジオジブリ公式HPにある質問コーナーでなんと舞台についてしっかりと記載されていました
Q 作品の舞台はどこですか?
A スタジオジブリ作品のうち、ここが舞台です、と公式に表明できる作品は多くありません。
様々な地域が部分的に取り入れられている作品がほとんどです。
さらに、言うまでもないことですが、映画の中には完全な創作で場面が設定されているシーンも、もちろんあります。
だから、実際に訪ねられても全く同じ風景に出会うことはないと思います。
1. ここが、舞台といえるもの
作品名 場所
おもひでぽろぽろ 山形
海がきこえる 高知・吉祥寺など
平成狸合戦ぽんぽこ 多摩ニュータウン
コクリコ坂から 横浜・新橋
21. 大いに参考にした場所
作品名 場所
天空の城ラピュタ イギリス・ウェールズ地方
となりのトトロ 埼玉県所沢市近郊
魔女の宅急便 スウェーデンのストックホルム、バルト海のゴトランド島ヴィスビーの町
紅の豚 アドリア海沿岸
耳をすませば 京王線の聖蹟桜ケ丘駅周辺(東京都多摩市)
もののけ姫 屋久島、白神山地
千と千尋の神隠し 江戸東京たてもの園
猫の恩返し 横浜元町
ハウルの動く城 フランス・アルザス地方、中央アジア
崖の上のポニョ 広島県福山市鞆の浦
借りぐらしのアリエッティ 青森県盛美園、小金井市はけの小路、武蔵野公園と野川
この回答は他にいくつもある回答の一つとして、質問コーナーにさりげなく書かれているためか検索してもなかなか出てこないです
僕が以前、記事にしたコクリコ坂や
もののけ姫についても、しっかりと舞台が記載されていますね
台湾・九份は千と千尋の神隠しのモデルではない、という宮?駿先生本人からの否定
一方で僕が以前、探訪した台湾・九份は除外されていました
現地では千と千尋の神隠しの音楽である「いつも何度でも」を流したり、カオナシの人形があったりするのですがスタジオジブリは公式には舞台として認めていないというこです
更に探してみると、このようなまとめ記事もありました
以上を見ると、九份がモデルではないという根拠がたくさんかかれています
特にこの台湾のテレビ局が宮?駿先生にインタビューしている動画では台湾(九份)が舞台であることが先生自ら否定されています(3:00頃から)、インタビューはたぶん風立ちぬ公開時頃くらいのものでしょうか
以下、宮?駿先生の発言の抜き出しです
「(千と千尋の神隠しのモデルは)台湾のどこかからということではないですか?」という質問に対して
違います
あの、映画を作るとモデルは自分の所だろうという人が日本にもいっぱいいまして
トトロのときにも、僕は家の近所(笑)
集めた材料で作ったのですが、遥か九州からモデルはここだとか
同じような風景はいっぱいあるということです
う?ん、舞台探訪者として考えさせられる話ですね
ところでそのあと、原発は古い技術だが日本に54もあるので辞めなければならないと話しています、なんか先生っぽいなぁと思いました
というわけで、僕もついつい嘘情報を書いてしまっていたようです、修正しておかねば
カンボジア・ベンメリア遺跡は天空の城ラピュタのモデルではない
そういうわけで、スタジオジブリ公式の回答してはカンボジア・ベンメリア遺跡は天空の城ラピュタのモデルとして認めていません
否定している訳でもないのですが、ここは違うと考える方が自然に思えます
以下のような考察もあります
ベンメリアが「天空の城ラピュタ」のモデルになった。
などとデマが流れているようですが、間違った情報には惑わされないようにしてください。
天空の城ラピュタが公開されたのは1986年8月2日です。
製作はその数年前から行われていると思われますが、その時代にはベンメリアには観光客は行けません。
つまりモデルにしようとしても製作スタッフが行けなかったのです。
「天空の城ラピュタ」のモデルになった、と言うデマが流れ出したのは2000年に観光客がベンメリアに行けるようになって数年後に日本人観光客が増えた数年後位からです。
ラピュタのような雰囲気の遺跡なのでそのようなデマが流れ出したのでしょうね。
日本語ガイドの中には「ベンメリアがラピュタのモデルです」と嘘を言うガイドもいるので注意が必要です。
「ベンメリアがラピュタのモデル」と言うデマが流れる前は「タップローム遺跡」がモデルだと言われ続けていました。
『ベンメリアはラピュタのモデルではないです (間違った情報には惑わされないように)』by アンコールワット大好きさん|ベンメリアのクチコミ【フォートラベル】|Beng Mealea|シェムリアップ
ベンメリアに観光客が行けなかったというのは、あの頃はキリング・フィールドでの大虐殺で悪名高いポル・ポト政権がベトナムと戦争して負けてまだゴタゴタしてた時期で、外国人は観光するどころじゃなかったってことですね
ちなみにポル・ポト政権は共産主義ですが真に平等な社会を作るためには知識人も不要という考えが、なんやかんやで拡大されて多くの大人が虐殺されたので、ベトナムと戦争した時、兵士は子供、医者も子供とかいう状態だったので半年で首都・プノンペンが陥落してます
米がなければ草木食べればいいやん?日本人って草食やん?とかいって進軍した日本軍も大概、自国民を大切にしてないですが、カンボジアも相当あれですね
僕はツアーじゃなくて、日本から自転車でベンメリアまで行きましたけど、人気があるか観光地なのか、そういえば現地で、日本語ガイド付きの日本人団体旅行者を見かけました
彼らもそう説明されてたんでしょうか
まぁ、現地の観光ガイドとしては本当に舞台かどうかなんてどうでもいいでしょうし、例え嘘でもそういった方が旅行客には楽しんでもらえるでしょうからね
それも楽しみ方の一つなのかなとも思いますが、一人の舞台探訪者としてここではカンボジア・ベンメリア遺跡は天空の城ラピュタの舞台ではないと書かせていただきます
ところでどことは書きませんが、「ラピュタ 舞台」とかで検索すると天空の城ラピュタのモデルになった場所をいくつも紹介してるような記事が引っかかります
そんな記事の中には近年有名になったよう観光地が含まれていたりしますしね、ほとんどが間違いだらけで、恐らく作品の知名度に便乗しただけの不正確な記事だということがわかります
オーストラリア・タスマニア島のロスベーカリーもモデルではない
このスタジオジブリ公式回答にはオーストラリア・タスマニア島のロスベーカリーも含まれてませんね
ロスベーカリーはファンの間で、魔女の宅急便、主人公キキが働いたパン屋のモデルと言われている場所です
魔女の宅急便・キキが働いたパン屋さん!?豪タスマニアの「ロス・ビレッジ・ベーカリー」を訪ねよう! | オーストラリア | トラベルjp<たびねす>
この記事を読むと、現地の新聞にも魔女の宅急便の舞台ということで取材されたりしているようですね
しかし、残念ながらスタジオジブリは現状、そのことを認めていないようです
カンボジア・ベンメリア遺跡を散策する
スタジオジブリ作品の聖地についての疑問から始まって長くなりましが、本来この記事は天空の城ラピュタ・ベンメリア遺跡の聖地巡礼記事として書き始めたので話が盛大に横にそれましたね
まぁ嘘だと思っているのですが、せっかくなのでベンメリア遺跡に行ってきたときのことを書きます
ベンメリア遺跡のチケット売り場、遺跡のかなり手前にあります
ベンメリア遺跡の入場チケット、5米ドル
ベンメリア遺跡入口、カンボジアは蟻が至る所にいてしかも強いです、噛まれるとかなり痛い
木に立てかけてたら帰る頃には自転車が蟻だらけになってました
入口にある蛇の石像
ベンメリア遺跡までさらに石の歩道があります
観光地でも牛が放牧されるのがカンボジアらしい
ベンメリア遺跡に到着
ボーッと見てたらスタッフらしき人が寄ってきて手招きしてます、どうやらガイドをしてくれるようです
日本語は話せす、英語解説でしたけどね
付いていくと崩れた石の上を登っていって裏道みたいな入っていきました、ちょっとビビる俺
ここ道じゃないだろっていう崩れた遺跡の中を案内されながら進んでいきます
まぁ、たしかにこういう石造りの遺跡に木が生い茂ってる風景はラピュタっぽくはあります、ムスカ様は追ってきそう
かなり足場が悪いのですが、慣れた様子で道なき道を進んでいくガイド
カメラバッグを持っていくので結構大変でした
なんとか通路っぽいところにたどり着けた
そして、案内したからチップ(金)を寄越せといってくるガイド、うん、薄々そんな気はしていた
ちなみに、服にそれっぽいマークのようなものが書かれてたのでたぶん本物のスタッフだと思う
日本じゃ考えられないけど入出国時に入国管理官が賄賂を言ってくる国だからね
続けて探索、今度は不動を普通に進んでいく
崩壊した遺跡に無理やり歩道を取り付けただけなので急なアップダウンがあったりして結構、疲れる
観光した感想として、遺跡の満足度はなかなか高いが写真で見たとおり、ぶっちゃけ石が崩れてるだけの場所ともいえるので長い時間いるところでもない
というわけで、とりあえず一周したがそれで十分すぎるほど満足した後にする
なお、その日泊まったベンメリア遺跡から少し進んだところにあった村の宿
便座が壊れているのは可愛いもので、水道から水は一切でない
水桶に入っている水もなんか濁っていて嫌だったので使わなかった
というかたぶん水道が通ってないんだと思います、外に雨水を溜める装置があったので
ベッドシーツも交換しているか怪しい、これで5米ドルでした
これでも道路を走っていて見かける掘っ立て小屋みたいなカンボジアの一般的な住居よりずーっとマシなのでしょう
カンボジアはあまり野宿をしたくない国でしたね、道路脇が未舗装な場所が多く、それでいて雨も多くよく泥だらけになっています
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